16歳で迎えた3月。
僕は家庭裁判所の裁判官に、中等少年院送致を言い渡されました。
それから1年と4ヶ月後の18歳の夏に、少年院を退院し社会復帰を果たしました。
それ以降、少年院はもちろん警察のお世話になることなく今を迎えています。
それもこれも、少年院での体験・学びが大いに関係あります。
その中でも『親・家族』の存在にスポットを当てて紹介します。
僕が更生できた要素の60%は、親・家族の存在ですから。
少年院に入る前の親・家族の関係
当時、祖父母・父親・妹の5人で一緒に暮らしていました。
母は僕が小学6年生の頃に父と離婚し出ていき、2つ上の姉も母側へ行きました。
それ以降、僕の生活は荒れていき14歳で暴走族に入りました。
その頃の家族と僕の関係は最悪です。
1mmも父をはじめ家族のことが理解できず、また1mmも理解されるはずもなく、父とは顔を会わせるたび殴られ、殴っていました。
高校には定員割れでなんとか行きましたが、馴染めず1ヶ月で中退し、もはや理解し合えるのは暴走族の仲間だけでした。
そして、ついに逮捕され少年院送致となりました。
少年院の中にいるときの気持ち
逮捕されて以降、前から面識があった調査官から
「今回は厳しい判断になる。」
と僕も父も聞かされていたため、少年院送致は鑑別所の段階で確定していたも同然でした。
捕まる前から、こうなることは予想していましたが、いざ少年院を前にすると怖かったです。
少年院の生活は、想像以上に辛く、厳しく、孤独です。
他の院生(以下:他院生)とは話すことは一切許されないため、1日にまったく誰とも会話をしない日もあります。
ですが、少年院の中では他院生同士のいじめもあり、僕も対象になったことがあります。
あれは辛かった。
また、少しのミスで先生は怒鳴ります。
まったくこれに反論することもできないため、何かが確実に溜まっていきます。
それは、とてつもなく深い孤独でした。
親や家族がしてくれたこと
僕の実家から少年院までは、車で2時間ほどかかります。
父は毎月一回は面会に来てくれました。
少年院の面会は平日しかできないため、有給を取って来てくれていたそうです。
面会中は、少年院生活を含めた「最近どうや?」から始まり、家族の様子などたわいのない話が多かったように思います。
また一度だけ、6つ下の妹と祖母、そして昔から可愛がってくれていた叔母2人が来てくれました。
妹は会ったときから、最後まで泣いていましたが、他の家族は感情的になることなく、無理に笑うことなく、僕を責めることもなく話してくれ、また話を聞いてくれました。
その時は思いませんでしたが、あの面会でのやりとりは、いつしかなくなっていた「いつものやりとり。」でした。
そして、家族が僕にしてくれたことで一番大きかったのが”迎えに来てくれたこと”です。
少年院に入ると、一番不安なことは親が迎えに来てくれるか。
これがあるかないかで、大きく変わります。
なぜなら、少年院を出るとき、退院するときが一番不安ですから。
してあげてほしいこと
毎月誰かが面会に行く
先ほども書きましたが、少年院の中では基本的に人と話すことがありません。
またとても抑圧的な環境のため、これまでなにかしらで吐き出すことをしていた人たちにはかなり辛い環境です。
なるべく話を聞いてあげてください。
はじめは僕も父と話せませんでしたが、いつのまにか「いつものやりとり。」になっていました。
少年院に入った、ということは時間はありますから、ゆっくりお願いします。
感情的にならない
僕の親は一度も感情的にならなかったから良かった、っていまさら感じます。
泣かれたり、怒られたり、悲しまれたり、あのときに感情的になられていたら辛いというよりも、面倒くなっていたと思います。
親も人間なので感情的になるのはわかりますが、それは家でお願いします。
面会は30分しかないので。
簡単じゃないことを理解
少年院に入ったことによって、更生することや社会に戻ってからのことを期待してしまうかもしれませんが、簡単じゃないことを理解してください。
「どうするの?」「どうするつもりなの?」
と聞きたい気持ちは今ならわかりますが、彼ら彼女たちも一生懸命に考えている途中です。
そして、考えても親を納得させられるほど具体的なことは考えられないんです。
だって、選択肢がないから少年院に入るまでに至ったんです。
それに社会から隔離されているため、前向きよりも不安の方が勝ります。
簡単じゃないことを理解して、
「どうするの?」「どうするつもりなの?」ではなく、ゆっくり一緒に考えて選択肢を与えてください。
押し付けがましくなく。
迎えに行く
「当たり前。」と思う人が大半かもしれませんが、これが最も大切なプロセスだと思います。
お願いします。
まとめ
僕はこの記事を書いている現在、少年院を退院してから12年以上経ちます。
それでも、思い出し書いていると辛くなります。
それほどまでに、少年院という環境は難しいところです。
そして、冒頭にも書きましたが本人が更生できる要素として、親や家族は60%です。
これが少ないと思うか、どうかはお任せしますが、僕からするとそれほどまでに親・家族の存在は重要で、またそれほどまでに更生するのは簡単じゃない、ということです。
僕は友達20%、退院後の就職先20%という割合でした。
どれ1つかけても難しかったです。
少年院での生活は想像以上に辛いものです。
だからこそ「いつもの感じ。」で接してあげてください。